文鳥ゴマちゃんが天国へ
8年以上私を支えてくれたのは、小さな鳥 文鳥のゴマちゃん。あまりにもゴマアザラシのゴマちゃんにそっくりだったから、ゴマちゃんに改名したほど。
犬猫も飼ったことがあるけど、鳥ほど、私のそばにいた時間が長いペットはいない。鳥は飛べるから、どこにでも好きなところに来る。
肩の上で料理を見ている。御飯が出来上がると、テーブルへ移動し、まずゴマちゃんが毒見する。
ラップトップのキーボードの上で眠る。
トイレはもちろん一緒に入る。
外出するときと夜寝るときはかごに入るけど。ほぼ1日一緒に過ごした。
やさしい鳥だった。
あまり怒らず、触られるのが好きだったので、卵をたくさん産んでしまった。そして、一生懸命に温めた。母性本能のつよい鳥だった。
なぜられると発情してしまうと早く気づけばよかったのに。
産卵は鶏のようには簡単ではなかった。たぶんお腹の中に腫瘍ができ始めていたのかもしれない。
飼い始めてすぐにまぶたの上が赤くなっているのに気が付き、まぶたの内側のできものになり、だんだんそれが大きくなって、目を閉じにくくなるほどになった。
いろいろな獣医さんにも連れて行った。鳥専門の獣医さんにも。悪性か良性かもわからず、薬も効果はなかった。悪性の場合は体中に移転するとも言われた。
副鼻腔炎で、結局できものがない方が失明していまった。失明だけで済んだことさえ奇跡だった。
見にくい方の片目なので、飛んでぶつかったりしながらも、片目にも慣れていった。
片目だから進むときは斜めに。顔を傾けて私を見る。
やがて白内障でほぼみえなくなってしまった。
よく獣医さんにかかったが、奇跡的に回復する。まるで不死鳥のように。私があきらめていても、ゴマちゃんはあきらめなかった。そうやって諦めてはいけないことを教えてくれた。
私のために生きていてくれた。がんばって回復してくれた。私の辛い時期にそばにいてくれた。守ってくれた。
そのころ、長女は海外にいたし、やがて次女も家を離れ、冷めた関係の夫との生活をなんとか続けてこれたのは、ごまちゃんがいてくれたからだと思う。
離婚が成立し、その後もいろいろとあり、やっと解放された。
2020年4月、コロナで仕事をやすみ、もう飛べなくて、片足を引きずるようになって動けなくなったごまちゃんとい日中一緒にいられてると思っていたら、天国に飛んで行ってしまった。
私の手の中で息を引き取った。
獣医さんに連れていくだけで、体力消耗してしまう状態で、レントゲンもかなり負担がかかり、ぐったりしていた。
だから、自宅で休養させることに決めた。好きなものを与えた。本当はよくなかったと思う。薬を飲ませればもう少し生きてくれたかもしれない。たぶんお腹の腫瘍でフンが出せなくて、何とか1日3回がやっと。
寝る前にベッドで読書を楽しむのが日課だった。お腹の上でこっくりこっくり眠るごまちゃん。ささやかな1日の終わる前の幸せな時間。
今こうして書いていると涙と鼻水がでてくる。
以前はね、一緒に逝けるといいなぁと思ってたのに、まだ私は生きているよ。
支えてくれているごまちゃんがいなくなったら生きていけないとすら思っていたのに。
困難を乗り越えさせてくれたのは、ごまちゃんなんだよ。だからもう少し生きるよ。
結構長く生きちゃうかもしれないけどね。
生きる覚悟をしたから、もう1度小鳥を飼うことに決めたんだ。
ごまちゃん、生まれ変わって戻ってきてくれたんだよね。
私にはわかるよ。
一度はっきりと、左肩に乗った感覚があった。あれは、サインだと思う。あの時はまだ魂がお家にいたんだね。一緒にいたんだね。
今はちーちゃんの中にゴマちゃんが見えるよ。感じるよ。
ちーちゃんと一緒に私を支えていてくれるんだね。
ずいぶん、強くなれたと自負してるんだけどね。
やっぱりそばにいてね。
2020.4.15 am9:30 ごまちゃんが 私の手のひらから天国に旅立った