一度は読んでみたいと思っていた有吉佐和子の小説を、読みだしてすぐに後悔してしまった。
いきなり強い方言で始まり、この方言で語られる小説だとわかった時に読むのを辞めようかと思った。
この方言を知っていなければよかったのだが、、抑揚までがはっきりと聞こえてくるのだ。
元 義両親の声色で。
しばらく忘れていられたのに、
こんな言い方してたなぁ~と否が応でも思い出してしまう。
結婚することになり、その地を初めて訪れてから、離婚するまで、ずーっと嫌われて続けて、どうしても馴染むことができなかった夫の両親。
おまけにミカン農家まで同じときた。
それでも頑張り屋の主人公、お千代さんの勢いに引っ張られて半分程まで読み進めた。
お千代は赤ちゃんの時、洪水で箪笥の引き出しに乗って、ある裕福な地主の家に流れ着き、その家の長女として育てられた。
しかし、十年後に、次女として悠紀が生まれた時、本当の子ではないことを偶然に知ってしまったのだ。その後率先して、山へ出かけみかん栽培を男衆から学んだ。
また洪水で流され、救われた地主の家で、自分の家を告げることなどせずにミカン栽培に没頭した。
地主の話す方言は、京都弁のような柔らかさを持っている。一方、雇われて働く男衆、
女衆の方言が、特に元姑に似ていて、攻撃的で荒い言い方は、怒られるように聞こえて怖かったなぁ。
姑も同様、ミカン栽培に人生を捧げたが、お千代さんは、幼子がちゅーちゅー吸った後の食べ残しのミカンを食べたが、義両親は、丹精込めて育てた子供のようなみかんを一口噛んでは、
”すいなー(酸っぱい)”
と言って丸ごとポイっポイっと次から次へとゴミ箱へ投げた。
そう言えば、元夫はブロッコリーのつぼみの部分だけかじって茎は残してた。
同じ農家でも違うもんだ。
違いと言えば、血のつながっていない妹を再会することができたが、ずーっとお嬢さん育ちのお悠紀さんとは、言葉使いだけではなく、180度異なる人生を送った。
お千代はおばあになってもミカン栽培から離れられず、お悠紀は嫁ぎ先で茶華を活けながら静かに暮らした。
実の姉妹以上に情が深いのだが、千代の次男とお悠紀さんが、お互いに好意を持っていると疑ったお千代さんは20才も年齢差があるふたりを汚らわしく感じ、お悠紀を遠ざけた時期もあった。
元姑の、一人息子を取られた招かねらず嫁に対するジェラシーだったに違いない。
私の全てが気に入らなかったのだろう。
私の手を見て、
”働いてない証拠”
私の身体を見て、
”貧弱な身体、母親の貫禄がない”
今の私なら、ああそうでか。で済ますことができるが、無知で若かったあの頃の私には、そのことばが針のように突き刺さって痛かった。だから盆と正月はきらいだった。ひたすら耐えるためのつらい帰省だったから。
そんなことを思い出しながら読み終えた。
なんだか、義両親の悪口になってしまったが、
自然災害や戦争の中生き抜いた人々の昔の話なのだが、今も同じ状況であることにぎょっとした。